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幼少の頃に、自分は無力であると突きつけられた子どもは、これを否定するために今度は自分にとって力がある者、つまり親のような人間を、他者に対して演じることがあるという。
自分は無力ではないと確認するために、元被害者が加害者へと変貌する。
私は既に、加害者になってしまったように思う。
他人をコントロールしようとすることをやめられない。実際にコントロールできるかどうかということとは別に、コントロールしようとすることをやめられない。私の怒りも涙も全部、他人をコントロールするための道具でしかないのかと思うと、また自分の全てが嫌になる。
所詮、パワーゲームである人間関係しか知らないのかもしれない。
自分より力があると思った相手にはコントロールされ、自分の方が力があると思った相手はコントロールしようとする。私にはどちらかしかなかったように思う。
自分がコントロールされる側にいるときは、あんなにも対等な関係を望んだというのに。
好きだった人達は、このことに気がついていたのだろうか。私との関係では、コントロールする側か、される側、どちらかにされてしまうと。